十和田湖を平和な仏の湖に変え、十和田青龍大権現という神になった南祖坊は多くの伝説に登場します。難蔵、南宗坊、南蔵、南祖法師、南層など呼ばれ方も様々ですが物語のバリエーションも多岐にわたります。
いくつか抜粋して並べてみると、
『三国伝記』(1410 頃) 播磨国書写山に難蔵という法華経を読誦する僧がいた。 『来歴集』(1699) 難蔵坊は額田嶽熊野山十瀧寺(十和田神社の前身)の住職だった。 『平泉雑記』(1773) 中尊寺鎮守白山宮の「姥杉」は南宗坊のお手植えのもの。 『委波氐迺夜麼(いわてのやま)』(1788) 南層は盛岡領奈良崎の永福寺の僧侶。 『十曲湖』(1807) 三戸龍現寺(斗賀神社の前身)にいた大満坊という修験が南蔵坊と改めた。 『十和田山神教記』(1860) 南祖坊の恋物語も描かれている。
文献だけではありません。十和田参詣道に沿う集落では口伝として様々な逸話が残っています。

「南祖坊は実在したか?」これは永遠の謎であり、十和田信仰における大きなロマンの一つです。
ただ、どうであれ言える事は、時空を越えた多くの伝承に登場し、人々に愛された南祖坊は十和田信仰の「絶対的主人公」だということ。十和田信仰の発展に熊野修験と南部藩が大きくかかわった事は間違いありません。しかし、最も大きな力となったのは民衆の南祖坊(青龍大権現)に対する厚い信仰心でした。
そしてもう一つ、十和田信仰が発展する上で忘れてならない事は、十和田湖が持つ「大自然の壮大な美しさ」です。圧倒される自然景観を目にした時、人々はそこにカミの姿を重ね、信仰心を深くします。
圧倒的な大自然と南祖坊(青龍大権現)に対する純粋な信仰心。それが十和田信仰の真髄です。明治の神仏分離と廃仏毀釈、そして日本屈指の観光地としての発展。時代の変化に翻弄されながらも十和田信仰は今でも脈々と受け継がれています。