江戸時代に入り十和田信仰は南部藩の庇護をうけて全盛期を迎えます。修験者の行場だった十和田湖は藩主代々の祈願所として厚い信仰をうけました。

 南部盛岡藩『雑書』には藩主が病気になると代参者が十和田湖へ走り、平癒祈願をしたと記されています。中でも南部盛岡藩2代・南部利直の十和田信仰は特にあつく、南祖坊との深い関わりが伝えられています。

 元禄時代には盛岡4代・南部重信が十和田参詣道(十和田古道)の大改修を行いました。休屋杉並木は同時期のものです。

  それだけではありません。あらゆる願いを叶えてくれる十和田青龍大権現は民衆を大いに魅了しました。藩が整備した参詣道に繋がる支道も発達し、参詣者の広がりは広大な領地を持つ南部藩一帯に及び、例祭には男女群れをなし登山するという「熊野詣で」ならぬ「十和田詣で」が最盛期を迎える事になったのです。

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