「道の奥の国 五戸の郡十曲1の湖に三熊2の神をうつし、また難蔵法師のみたまを青龍権現と齋ふ3
菅江真澄『十曲湖』(1807)
「老杉繁茂せし中、岩道を二十三十歩も上りて、大岩峨々4と立聳えたり5
其根にいと物寂したる本殿在。則是に、十和田青龍権現を祭る。(中略)又向て左の方に熊野三社権現」
松浦武四郎『鹿角日誌』(1849)
「四方の翠巒6清湖を環拱7し、湖は清蒼にして明鏡のごとく、塵芥なく魚鼈8生せず。当社9其畔にあり。祭日は例五月十五日、男女群れをなし二十人或は三十人相連れ登山す。多きときは四百余に至り…」
『新撰陸奥国誌』(1876)

 

 重畳たる大森林に抱かれた青い湖水に十和田青龍大権現を祀り、清冽な奥入瀬渓流と雄大な八甲田連峰が一体となって壮大な信仰世界を形成する。北東北最大の山岳霊場「霊山十和田」の姿です。

 御倉山を正面に見る占場10を随一の霊場とし、人々はそこで十和田青龍大権現と対面するため、そして願いを届けるために険しい山を越え十和田湖を目指しました。

 北東北一帯に浸透し、現在まで脈々と受け継がれている「十和田信仰」はいったいどのように誕生し、発展していったのでしょうか。修験者の修行の場として開かれてから、民衆の聖地巡礼の山として隆盛を誇った時代までを辿ってみましょう。

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  1. 十曲(とわだ)=十和田
  2. 三熊(みくま)=熊野
  3. 齋(いわ)う=神を祭ること
  4. 峨々(がが)=(岩や山などが)険しくそびえたっているさま
  5. 聳える=そび-える
  6. 翠巒(すいらん)=緑色の峰
  7. 環拱(かんきょう)=とりまいて衛る(平凡社「普及版 字通」)
  8. 魚鼈(ぎょべつ)=水産動物のこと
  9. 十和田神社
  10. 占い場、オサゴ場ともいう